幸せになるために、父に会う。

「お金の問題を解決するために、会わなければならないのは、あなたのお父さんよ」霊能力を持つチャネラーさんから言われたことをきっかけに、父に会う事を決意。30歳になったのを機に、今までの人生をここに綴りたいと思います。

お金への執着(幼少期編)

物心ついた時から、何故か

お金への執着が異常に強い子供でした。

 

両親は1歳の時に離婚していたそうで、

自我が目覚めた頃からすでに母子家庭で

団地で母と2人暮らしをしていました。

 

しかし私の母は私を毎晩遊びに連れまわし、

週の半分はカラオケBOXが寝床でした。ww

 

幼い頃から人の歌を毎晩聞かされていたので、

少し変わった英才教育だったと思ってます🎤←

おかげでカラオケは上手になりました。w

 

 

母の友達が多かったため、幼い頃から

色んな場所に皆で遊びに行っていたので、

家で遊んでいた記憶の方が

実は少なかったりします。

 

なので父親がいなくて寂しかったとか、

母子2人きりで息詰まったという感覚が

あまりありません。

 

その点は、母の交友関係の広さに感謝です。

 

なので、私は寂しいとか苦労している感覚が

全くありませんでした。

 

しかし一般家庭と比べて母子家庭の印象として

経済的にも余裕がないと判断され、

離婚している、父親はいない

という話をすると、大人達は決まって

「可哀想に...」

「大変ね...」

と、わたしに声かけられるのが

理解できなかったし、

子どもながらに悔しくて仕方なかった。

 

子どもの私は、苦労してる感覚も

可哀想だという感覚もないのに

母子家庭っていうだけで、

周囲から勝手に決めつけられてことが

とにかく腹立たしかったのです。

 

母にはずっと言えなかったけど、

母子家庭と言うことに対しての

劣等感が常にありました。

 

私に最初から選択権はなかったのに、

母子家庭なだけで、マイナスからスタートと

決められているような感覚でした。

 

母子家庭=可哀想

母子家庭=貧乏

母子家庭=生活苦

 

とにかく世間の勝手な決めつけに

子どもの頃からうんざりしていました。

 

母子家庭の子供と分かると、

可哀想な目で見てくる大人。

 

何で可哀想と思われるのか?

何で大人はいつも私に同情の目を向けるのか?

幼い私には意味が分かりませんでした。

 

そのうち、母子家庭、父がいないと

人に言うこと自体が嫌になり、

本当に必要な人にだけ話すようになりました。

 

 

 

小学生くらいになると、

更に自我が確立されてきて

おもちゃやゲームがとにかく欲しい時期に。

 

昔テプラが出始めの頃かな?

CMもバンバン流れていて、小学生の間で

流行っていた時期がありました。

 

ちょうど誕生日のプレゼントに

おねだりしたんです。

 

でも当時テプラのおもちゃは確か1万円以上する、代物でした。

 

高いと言うことは分かっていましたが、それでも欲しかったんです。

 

祖母と母がかしこまって、

「モモ、ごめんね。このテプラのおもちゃは買えないんだ。その代わり、こっちのテプラのおもちゃにしてくれる?」

って、言われたんです。

 

私が欲しかったのは、1万円くらいするテプラで、買ってくれると言われたのは、もっとおもちゃっぽい、格下のテプラでした。

 

私は、拗ねてふて腐れました。

泣いて駄々をこねました。

 

 

その時、私はこう感じてしまいました。

 

「自分の家は貧乏なんだ。」

「お金がないと欲しいものが買えない。」

「誕生日にも好きなものをもらえない。」

「お金がないと幸せになれない。」

 

「お金があれば、欲しいものも好きなだけ買ってもらえるし、幸せだ。」と。

 

 

今考えれば実にひねくれた考え方です。

完全に卑屈になっているだけ。

 

でも、子どもの頃はこうとしか考えられなかった。

 

周りの一般家庭が、ただただ羨ましかったんです。

 

一般家庭だから皆幸せかと言ったら

全然そんなことはないと今なら分かる。

 

ただ、隣の芝生が青く見えたんですよね。

すごく羨ましかった。

 

幼少期に根付いた思い込みが

ずっと根底にあり、この思い込みが原因で

その後悪行に手を染めることになります...🤫

 

 

学生時代編へ続く